大奥(おおおく)は、江戸城の御殿における征夷大将軍 将軍の母、正夫人(御台所)および側室の居所のことである。
将軍の居所は基本的に本丸御殿であったため大奥は本丸御殿にあったが、西の丸御殿や二の丸御殿にも大奥に相当する区画があり、将軍や大御所が西の丸や二の丸に居したときはそれぞれが大奥として機能した。
二代将軍徳川秀忠の正室・崇源院 お江与が創立し、三代徳川家光の時代に家光の乳母で権勢を振るった春日局が、元和4年(1618年)大奥法度を定め奥を整備しまた統括した。
「奥」あるいは「奥向」は一般的に日本の屋敷における主人の私的な空間、女性の居室となる空間を指し、江戸城では奥向きのうちもっとも奥まった女性の居室となる部分を大奥、大奥と表(表向)の中間に位置する将軍の日常生活空間のことを「中奥」と呼んだ。